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仏像
本尊阿弥陀如来立像
大きさ:像高 96.0
年代:不明
解説:袋中(たいちゅう)上人に帰依した桧物屋善左衛門によって寄進されたもの。
恵心僧都作と伝わる。
二世團王(だんのう)上人代に本堂が建立され、それにともない本尊としてまつられるようになった。
阿弥陀如来坐像 (京都市指定重要文化財)
大きさ:像高 81.2
年代:平安時代後期
解説:永久2年(1114) 白河法皇の御願として建立された蓮華蔵院の旧仏と伝えられる。
桧材に漆箔仕上げで、藤原時代に流行した定朝様式のおもむきを残す。現在では本堂西側に配されている。
四天王立像
(クリックでそれぞれが拡大)
【増長天像】
大きさ:像高 236.9
年代:鎌倉〜南北朝
【持国天像】
大きさ:像高 232.4
年代:鎌倉〜南北朝
【広目天像】
大きさ:像高 228.2
年代:平安時代後期
【多聞天像】
大きさ:像高 243.2
年代:鎌倉〜南北朝
解説:境内楼門内に安置される四天王像は、二十二世譲誉玄亮(じょうよげんりょう)上人が明治21年(1888)の楼門新築に伴い購入したもので、大阪和泉の興善寺旧蔵ものと伝えられている。
最も古式である広目天像は、興善寺が所有する保安元年(1120)銘の大日如来像のものと共通することから平安時代後期の作で、その他の像は鎌倉後期から南北朝と考えられている。
この時期のものとして像高2mを越えるものは、あまり現存の例がなく珍しいものである。
十一面観音立像
大きさ:像高 275.0
年代:平安時代
解説:大和長谷寺の観音像と同木同作で仏師春日の作とされるが定かではない。
もとは大和竹林寺の本尊であったが、建仁寺内の興雲院に供養されていたものを、明和8年(1771)に十二世良妙(りょうみょう)上人が譲り受け、安永5年(1776)に別堂を建てて安置した。
なお現在の観音堂は昭和12年(1937)に再建されたものである。
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