本堂
現在にその姿を伝えている本堂は、寛政3年(1750)頃に完成した。十二世良妙(りょうみょう)上人の尽力によるもので実に十数年の工期を要した大事業であった。
本堂は屋根を瓦葺き、扉を唐戸にし、内陣には須弥檀を拡張し、来迎柱を建て彫刻を施すなど、荘厳を極めたものである。堂外の側壁にも細やかな彫刻などによる装飾的要素が多用されている点に特徴がみられる。
京都市指定重要文化財。
庫裏
現在の庫裏は十世良空(りょうくう)上人の時代のもので、元禄16年(1703)12月に玄関や方丈が新築され、現在のような瓦葺きの屋根になったとされる。古鬼瓦に元禄16年の年代が刻まれていることがそれを裏付ける。
また享保15年(1730)に十二世良妙上人によって、寛延2年(1749)に大規模な増改築が行われたことが棟札に記されている。
2006年大改修を行い、玄関屋根には沖縄のシーサーを配している。
観音堂
観音堂は平安時代の後期作といわれている十一面観音立像を安置する。
像は寄木作り(けやき材)に漆箔をほどこし高さ275cmの大きなもので、奈良長谷寺の観音像と同木同作とされるが定かではない。
もとは奈良笠山の竹林寺にあったが、建仁寺内の興雲院に移されていたのを十二世良妙上人が譲り受け、別堂を建立し安置された。現在の観音堂は昭和12年(1937)に再建された。
龍神堂
龍神堂に奉られる加茂川龍神は、自在な神通力を持ち、晴雨を司る神様としてわれわれや仏法をひでりや水難から守る神様である。
晴天、雨請(あまごい)等の天候を祈願するお堂として古くから信仰を集め、加茂川龍神立像が安置されていたが、現在像は本堂に移されている。現在のこの堂は昭和61年に再建された。
大銀杏
龍神堂のかたわらに根を下ろした樹齢三百年を超える銀杏。
古くから龍神様と並んで水害を防ぐ神木と崇められ、檀王法林寺のシンボルとなっていた。江戸時代につくられた古地図にもたびたび登場する。
檀王法林寺には境内の地蔵尊に安産を、この銀杏に授乳を祈願する慣習もありご婦人方の信仰があつかったと伝えられる。
この木は戦前の台風の被害により倒木したが、現在その切り株が残っている。
楼門
明治21年(1888)に二十二世譲誉玄亮(じょうよげんりょう)上人によって建立。
楼内に縮冊一切経、十六羅漢像、大日如来像を安置し、四隅に四天王立像をまつる。門上部には山階宮晃親王の御筆による「朝陽山」の扁額を南に、「望西楼」を北面に掲げる。
四天王像は楼門新築に伴い、購入されたもので、大阪和泉の興善寺旧蔵ものと伝えられ、広目天像は平安時代後期の作で、その他の像は鎌倉後期から南北朝と考えられている。
四天王像については、宝物のページで解説をしております。
念仏万霊塔
延宝6年(1678)、八世東暉(とうき)上人による「不断念仏会」の百余名の結縁を記して建てられた。
東暉上人は開山袋中上人の最後の直弟子で袋中の念仏信仰、曼陀羅信仰を受け継ぎ、盛んに念仏会や曼陀羅講を開いた。
この時の念仏会は継承され、元禄17年の一万日回向、宝暦6年の三万日回向の基準となっている。
袋中上人御親筆大名号碑
檀王法林寺所蔵の袋中上人名号に4mを超える料紙に書かれたものがあり、本堂に掛けて拝覧することができないのを二十五世良哉(りょうさい)上人は悲嘆していた。
ある日偶然に巨大石を得ることができ、昭和11年(1936)に発願し、その大名号を実物大に刻印し、本堂東に建設したとされる。雄大な文字から袋中上人の気宇壮大な精神を今に伝えるものである。
石仏
楼門の東側に数体の石仏が安置されている。
大きなものは江戸時代につくられた3mほどの地蔵菩薩で、昔この像に安産の祈願をする婦人が多かったという。
その向かって左に室町中期につくられた花崗岩の阿弥陀像がある。これは阿弥陀の両脇に梵字で観音、勢至の両菩薩、上部には阿弥陀をあらわす梵字が刻まれた珍しいもので、背面の銘から徳山盛長なる人物が親族の往生の願いをこめて寄進したことがうかがえる。
川端門
有栖川音仁親王一族は主夜神尊へのご信仰あつく、明和3年(1766)本堂再建の際、主夜神堂のためこの門を寄進なされた。そのため屋根に菊紋の獅子口の瓦が置かれるとされる。
この門は赤門、開運門とも呼ばれ、京都市指定の重要文化財になっている。昭和49年(1974)に修復が行われた。
御霊屋 (みたまや)
寛永16年(1639)1月、袋中上人入滅にともない「道心」舛屋受教(ますやじゅきょう)によってつくられた上人の御廟。
その前に亡くなられた二世團王(だんのう)上人(1637年入滅)の御廟も同時に建立された。卵型の石塔に墓碑を刻み収められている。
江戸初期の特長をあらわす建物であるとされ、京都市指定の重要文化財となっている。
「道心」とは袋中上人を慕って集まってきた在家信者の一群で、受教は二世團王上人の代、本堂建立にも尽力された。
著名人墓石
檀王法林寺の墓地には多くの著名人が眠っている。
【左側】北向雲竹は寛永9年(1632)に生まれ、楷書に優れた大師流の書家で、僧侶でもあった。俳人松尾芭蕉の書の師であり、芭蕉とは長く交流が密であったことは、芭蕉の日記や数多く残された書簡からもうかがえる。
元禄16年(1703)5月12日没、72歳。
法名「良苑林観明誉了海雲竹法師」。
【右側】山口素絢は、江戸絵画を代表する円山応挙の高弟の一人で、和様の美人画を得意とした。当寺開創に尽力した檀家柊屋山口甚四郎の子孫である。
文政元年(1818)10月24日没、54歳。
法名「明誉素絢居士」。
また同じ墓石に、俳人山口羅人も葬られている。
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